アトランティスの魔導士〈0〉 プロローグ ♯7
プロローグ ♯7
それからまた、しばしのことあって――。
「ほっほ、やはりうまいものだ。たまになぶんだけなおさらかの! のう、愛斗羅(アトラ)よ…? むぬ、どうしたおまえさん、さっきから一向に箸が進んでおらんぞ?」
「…あ。うん、じいちゃん、あのさっ…」
「?」
美味なる晩餐(ばんさん)にご満悦で、すっかり普段のらしさを取り戻したはずだった。その愛孫(まなまご)がここに来てまた不意におとなしくなるのを、ハイクはやや不可解げに見とがめる。
が。しかし何やらしきりともの言いたげな当の本人は、もじもじさせていたその身を突如のこと、ふっとテーブルの下に潜り込ませた。
そのまま背丈の小柄なのをいいことして、盤と畳とのわずかな隙間をひとのもとまで四つん這(よつんば)いにんしょんしょっなどと掻い潜(かいくぐ)ってくる小僧を、片や祖父はやや怪訝(けげん)なさまで迎える。
こんなまったく挙動不審のアトラは、しまいはハイクの懐(ふところ)深くまでちゃっかりと這い上がり、ぴったりとその身をすり寄せてからに甘えた鼻声なんぞひねり出すのだった。
「あのさ、あしたのさっ、あれのことなんだけどもさ…」
「んん? ああ、わかっとる。みなまで言うな、ぬかりないわ! もとい相場は決まっておろう? いつもの地元商店街・共通ギフト券、たんまり弾んでやる。まったく生意気盛りがガラにもなし妙に甘ったれおってからに、よもや現ナマが欲しいだなどと世間ズレしたことほざきよるまいなっ…! むん、なんじゃ、そのおかしな手つきは?」
「あん、見りゃわかんじゃん!」
敵はおよそつけ入るスキのない真顔をしておまけしごくきっぱりとした言葉つきなのにも、両手の十指をあまさずひたすらくにくにと屈伸運動させて見せるアトラはひたすらめげずで食い下がる。
それこそがだだっ子の焦れた調子でごねついた。
「おれもうそんなんじゃなくって、ブツがほしい! でっかいのっ! そんでもって強いヤツっ、じいちゃんのみたいな!! こうやってあやつるのがいいっ…て、うわっ、いってぇ!」
とかく熱のこもる言い分を、冷めた半眼のハイクはだがすぐには応えず。
まずはその身にまといし、渋い白地の甚兵衛の懐よりか取いだしたる〝棒〟で小突いて一蹴(いっしゅう)する。
スチャリ…!
その手にしたるは、一本の丈夫なキセルだった。
いつもの懲らしめで硬い金属のコブ付きの先端、慣れた手さばきでビシッと鼻先に突きつけるじっさまは、もはやかけらも容赦がない。
「うつけもの! まだまだ尻の青いハナタレ小僧が大それたことをぬかすでないわ。そんなもん、お前なんぞにゃまだ早いっ!」
だがこれに、おでこを両手で押さえるアトラは潤んだ涙目でもまだなお負けじと喚き返す。
「んんん、あんでさっ!? おれもうあしたになれば、りっぱないちにんまえなんだぞっ、じいちゃんのお手伝いだってぜんぜんへーきだもんさ! それにじいちゃんだって、ずっとひとりきりじゃたいへんだろっ? いっつもそんなケガばっかこさえちゃってさ…! だってだって、おれっ、おれ、じいちゃんがいなくなったらば、ほんとにひとりぼっちになっちゃうんだぞっ! なのにそれでもいいっていうのかっ!!」
「ぬうっ…」
最後には涙のにじむほど痛切な叫びに、さしものハイクも冷淡だった表情が突如として見舞われる心苦しさに歪む。
果てはめっきり力をなくした声が、いささかかすれていた。
「愛斗羅よ…! いったいなにを言いよるのか。もしやおぬしだけを残してだ、このわしがどうにかなるとでも思っておるのか…? いやいや、まずありえまいて。そもそもがだぞ、そんなことはあやつめが許すまいに。そう、お前の――」
この懐にひっしとしがみついて決して離れない…!
顔をひとの胸元に伏せたきりのまだ幼き孫の小刻みに震える背中、よしよしと愛おしくなでるハイクは、だが最後の言葉だけはぐっと飲み込んだ。
加えて甘い言葉を吐くのを堪(こら)えつつ、なるたけ落とした声音を振り絞る。
「おぬしの気持ちはようわかった。だがの、今はその気持ちだけで十分だ。そんなもんだから、ほれ、さっさと宿題やって風呂入って寝てしまえ。誕生祝いのことはわしなりちゃんと考えてやる。もちろん、穏便なものを、だな! まあなんにせよおかしな期待なぞしてくれるのはまだちいとの、そうさまだ10年ばかし早いわい…!」
「…………」
それで、だが果たして納得ができたものか。
言葉もなくただかぶりを振るアトラだった。
その後に一度、大きく鼻をグズらせる。
と、これきりにばっとハイクから身を離し。
またすぐさまに背中を向けるやで、声高。
ぶっきらぼうな憎まれ口叩いていた。
しかもである。
どうやらこれがまだちょっと、泣き声の…!
「ちぇええっ、どけちぃっ! わるいヤツにこてんぱんにされても、おれっ、ほんと知らないんだかんなっ!」
おまけに思いっきり『あっかんべー!』だとかかましてやりたかったのだが、頬の濡れた顔など見られては返ってカッコがつくまい。
それだったから。
もはや決して振り返らず。
その場を後にズダダッと脱兎のごとく駆け出してゆく。
どたらばったらやたらした忙しい足音が廊下から奥の階段を一気に駆け上がって即座、遠くでピシャン!
襖(ふすま)の閉じる鋭い音とともに、幼い気配はぱったり途切れた。
おかげですぐ、辺りを空虚な静けさが包む。
「…ふう、まだ夕飯(メシ)の途中だろうに。わからんぼうが、ほんに仕方のないことだ。まったく、のう…」
独り取り残される静寂に、への字に結んだ口もとよりかすかに疲れたよな嘆息(たんそく)逃す、ハイクだった。
やがて誰かに愚痴でもこぼすふうな口振りもすれば、しばしのこと。
ただ想いをはせるかにどこかしら、遠くを見つめていた。
今となっては、ぽっかりと妙に寂しい胸の内にまた、キセルを強く抱かせして――。
※次回に続く…!