アトランティスの魔導士〈0〉 プロローグ ♯6
プロローグ ♯6
その名を、ハイクと言う。
ちなみ漢字では、ひねりをきかせ五七五とか表記するのだが、それら似つかぬ音と字面(じづら)の結びつきのゆえん、若輩のアトラなどはまだそうはっきりとはわかりかねていた。
ともかくにぶすりと睨めっこ状態の小学生とはまさに孫と祖父くらいの歳(とし)の開きがあるだろう。
またそれを裏付ける当人たちのやんやと気兼ねないやりとりであって。
だからこの叱りつけるようなきつい眼差しの前にも、もはやで悪びれたそぶり一つとないやんちゃ盛りのアトラだ。
ばかりかこの上はいきなりすっとんきょうな声音でもって、好き勝手なものの言いぶちかます。
「うん、あんちゃんまたあした来るってさ。そうだっ、じいちゃん、アレどこやった! あのハコ入りのおみやげ、あしたの〝お祝い〟じゃねえんだかんなっ!」
「ん、何を言うとる? そんなものはもうとっく、冷蔵庫に大事にしまってあるぞ。無論、おぬしの手の容易に届かん死角にの! 外見から中身を察するに、ちょうど都合がよかろうて? ほほ、あやつもほんに気がつきよるわ。おかげで手間が省けたというもんじゃろ!」
しめしめとしたり顔した返事には、この身体中で地団駄(じだんだ)踏むアトラは声がいっそう、裏返った。
「わあっ、あんでだよっ! うそだっ、おれぜってえみとめねえぞっ!!」
「はて? 冷蔵庫では気にくわぬのか。ふむ。それはまあ、生ものではあるからにのう…! いやしかしだな、冷凍庫では、衛生面では万全でも、肝心の風味の面において著しく…」
「ちゃうわいっ! このどけちボケじじいっ!! くいもんのウラミはおっかないんだろっ!?」
ここいらへん、やはり年の功が勝るのか?
ひとの主張をひょうひょうとうまいこと煙(けむ)に巻くとぼけた態度であしらわれ、意地が焼けるばかりのアトラはせいぜい力一杯に憎まれ口をがなる。
するとこんな他愛のないことで面白いくらいカッカと頭に血を昇らせる独りっ孫(ひちりっこ)を、至って平然たる真向かいの祖父は、初めこそ心外そうなやや憮然とした面持ちで見返すのだった。
だがしかし。
そうかと思えば、次には出し抜けのこと。
何やらやけに芝居がかったセリフを吐(は)いたりした。
おもむろ目配せで自分たちが挟む、きらびやかな漆塗(うるしぬ)りの平たい盤上をそれと示しもしながら…!
「ぬううっ、何を人聞きの悪い! この食い意地ばかり張ったひよっこめが。ならばの、このおのれの目の前にあるもの、しっかと見てみよ!」
「…?」
グレた目つきのチビッ子は、いかがわしげな顔つきでも渋々として視線をこの手もとに落とす。
それで不覚にもぎゃふんと面食らわされた。
「あっ、わわっ! うそ、これってばスシじゃん! でもなんでっ? こんなすっげーごちそう、じいちゃんふとっぱらに『ちくしょーズシ』の出前たのんだのか!!」
「『竹松寿司(ちくしょうずし)』だ。ふっふ、なあに。仕事の成功祝いにちいと、の。たまには良かろうが…っと、なんじゃ、その怪訝な顔は? べつにおぬしの明日の祝いとはまったくの別ものだぞ、これは…」
「ううん。じいちゃん、そのアタマ!」
てっきり、目の前のごちそうにばかり目を奪(うば)われてるものと思っていた現金小僧が、その実のところでだ。
より驚きの眼(まなこ)をしてひとの顔、特に広い額(ひたい)のあたりをマジマジと凝視してくれているのに、ハイクも無意識の内にしてそこに自らの手を当てていた。
すると思い出したかに、チクリとした少々の痛みを感じる…!
それでもしかしながらにだ。
いや何のことはないぞ、と素っ気のない顔つきで返さんとするのを、だが一方じゃとても不安げな、ひょっとしたらば今しも泣き出しでもしてしまいそうな戦(おのの)いた眼差しで、食卓にがたりその身を乗り出すアトラである。
たちまち大げさに息せき切っては、ぎゃあぎゃあとわめき始めたりするのだった。
「ケガしちゃったのかっ! だってちがにじんでるぞっ、じいちゃんだいじょうぶなのかっ!!」
「お、おおっ! 無論じゃ。こんなものはだな、単なるかすりキズよ。なあにそれはちっとばかし難儀なヤマではあったからにの…! いやはやだがそんな心配はいらん!」
「ほんとか、じいちゃんっ…」
「明日にでもなればの、きれいさっぱり治っておるわ! もといこれしきのことで…ふん、愛斗羅(アトラ)よおぬし、このわしを誰と心得る?」
歳も相応に禿(は)げ上がった頭のおでこに貼りつけた、特大のバンソーコー。
その少々血がにじむのをひどく痛々しげに見つめる、いたいけな愛孫(まご)を、対する育ての祖父(おや)は可愛らしさに思わず苦笑いとなる。
痛みも自然と失せていた。
それだから愛児(あいじ)の前の一回り小振りな寿司桶(おけ)におまけで並んだオレンジジュースを、その傍らのコップになみなみと注いでやる。
そうして片や自らは手もとのお猪口(ちょこ)を摘(つま)んだらそれをいまだ浮かぬ顔の鼻先に、ほれっと突き出すのだ。
そんなハイクに促されるままにアトラ、正しくは愛斗羅も沈んだ気持ちをどうにか取り直し、甘い香りの祝杯を頭上にまで掲げた。
「ほれ、とにかくめでたしめでたしよ。おぬしにゃ景気のいい、『前祝い』にもなろう」
「うん! じいちゃんありがとっ」
こうして、二人きりの、乾杯。
双方ほのぼのした笑顔の中に、ささやかな宴(うたげ)が催される。
飲み食いが始まればさらに空気も明るくおめでたくもなり、ほどなくいつものやかましいやりとりまでが戻った。
それからまた、しばしのことあって――。
※次回に続く…!